平成12(受)192 最高裁第三小法廷 平成13年(2001年) 3月13日
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主文
1 原判決中上告人敗訴部分を破棄する。
2 第1審判決中上告人敗訴部分を取り消し,同部分につき被上告人らの主位的請求を棄却する。
3 第1項の部分に係る被上告人らの附帯控訴を棄却する。
4 被上告人らが原審において拡張した請求中主位的請求を棄却する。
5 被上告人らの予備的請求につき本件を東京高等裁判所に差し戻す。
6 被上告人らの主位的請求に関する訴訟の総費用は被上告人らの負担とする。
理由
上告代理人山田有宏,同丸山俊子,同松本修の上告受理申立て理由について
1 本件は,上告人の従業員である被上告人らが,平成3年から同7年までの間,被上告人らの所属する労働組合と上告人との間でベースアップの金額につき合意が成立したのに,その分が支給されなかったとして,上告人に対し,主位的にベースアップ分及びベースアップに伴う時間外労働の増額分から成る各未払賃金等を請 求し,予備的に不法行為による損害賠償を請求する事案である。
2 原審が確定した事実関係の概要は,次のとおりである。
kuma
事実確認があります。
(1) 被上告人らは,平成3年ないし同7年当時,いずれも上告人の経営するA教習所に勤務する従業員であり,D労働組合・E教習所労働組合A教習所支部(以下「支部」という。)の組合員であった。
上告人の従業員により組織される労働組合としては,支部のほか,A教習所労働組合(以下「F会」という。)がある。
(2) 上告人は,昭和53年6月以来毎年ベースアップについて支部との間で労使交渉を行い,その結果締結される労働協約によりこれを決定して従業員に賃金を支給していた。
ただし,昭和58年度においては,労使交渉によりベースアップの金額等が合意されたものの,上告人が支部に対して示した協定書案中に,支部及びその組合員がいわゆる経営権に関して干渉したり経営者の責任を追及するようなことは一切しないことを確認する項目があったため,支部はこれに記名押印することを拒絶したが,上告人は上記合意どおりベースアップ分を支給した。
(3) 上告人は,従来の賃金体系が年齢に比して勤続年数を偏重するものであり,また,従業員各人の技術力,知識,責任の程度に見合ったものになっていなかったとして,平成3年4月8日,支部に対してその改定を提案し,その後団体交渉を重ねたが,支部は新賃金体系の導入に同意しなかった。
上告人は,同年6月4日,支部に対し,新賃金体系の導入を内容とする賃金規程その他の就業規則の一部改定案を提示して意見書の提出を求め,支部は,同年7月31日,賃金規程の改定に反対するとの意見書を提出した。
上告人は,同年8月1日,上記改定案のとおり就業規則を一部改定し,厚木労働基準監督署長に対し,上記意見書を添付して,改定後の就業規則を届け出た。
F会は新賃金体系の導入に同意した。
上告人は,上記のような経緯を経て新賃金体系を導入した後,支部組合員である被上告人らを含めた従業員全員に対し,新賃金体系による賃金を支給している。
この新賃金体系によれば,基本給は本人給と職務給とから構成され,本人給については,別に定める初任給に,本人給表により定まる額を加算した額をもってその額とすることとされ,初任給については,賃金規程別紙「初任給および初号賃金」において定められており,平成3年度時点における初任給の額は13万5000円とされた。
(4) 平成3年度もベースアップについて上告人と支部との間で労使交渉が行われ,上告人は,支部に対し,新賃金体系を前提として,賃金規程別紙「初任給および初号賃金」記載の初任給13万5000円に5000円を加算してベースアップを行う旨回答し,その趣旨を記載した協定書案を提示した。
支部は,上告人に対し,平成3年10月ころ,引上げ額を5000円とすることには同意したが,この同意が新賃金体系の導入に同意した趣旨ではないことを記載した覚書を付けて協定書を取り交わすことを申し入れた。
上告人は覚書の添付を拒否した。支部は,賃金規程別紙「初任給および初号賃金」記載の初任給13万5000円に5000円を加算するということは,新賃金体系の導入を前提とするものであることから,覚書を付けずに協定書の作成に応じれば事実上新賃金体系を承認する意味を持つと受け止め,そのような協定書の作成には応じなかった。
上告人は,労働協約が書面に作成されないことを理由に支部の組合員に対してはベースアップ分を支給せず,他方
,F会の組合員及び非組合員に対しては同年4月にさかのぼってベースアップ分を支給した。
(5) 平成3年11月7日,上告人と支部との間で,平成3年度の夏期賞与額について「各人の賞与額は本協定の妥結日を含む賃金計算期間を基にして支給されている基準内賃金の1.6ヵ月とする。」との記載のある協定書が作成された。
(6) その後も平成7年度までベースアップについて毎年労使交渉が行われ引上げ額については合意に至った(以下,同3年度から同7年度までの間にされたベースアップの金額についての各合意を「本件各合意」という。)が,上告人は賃金規程の定める初任給の額に上記引上げ額を加算した額を初任給の額とする旨の協定書案を作成してこれに記名押印するよう求め続け,支部はこれを拒絶し続けた。
上告人は,(4)同様,労働協約が書面に作成されないことを理由に支部の組合員に対してはベースアップ分を支給せず,他方,F会の組合員及び非組合員に対しては各年度の4月にさかのぼってベースアップ分を支給した。
なお,上告人は,同8年度に至って賃金規程別紙「初任給および初号賃金」の初任給の金額を13万5000円から15万8900円(13万5000円に同3年度から同7年度までの引上げ額の合計額2万3900円を加えた額)に改め,平成8年4月分以降は支部の組合員に対してもこの金額に基づいて賃金を支給するようになった。
3 以上の事実関係の下において,原審は,労使双方とも新賃金体系の下での賃金の支給を既定の事実と認識して本件各合意をしており,このことからすれば,本件各合意はベースアップを行う旨の合意にほかならず,上告人と支部との間で上告人が支部の組合員に対してベースアップ分を支給する合意が成立したものと解した上で,上告人が支部の組合員に対してベースアップ分の支給を拒む理由として労働組合法14条所定の書面が作成されなかったことを主張することは,信義に反して許されず,協定書が作成され両当事者が署名し又は記名押印した場合と同視すべき
であって,上述のベースアップを行う旨の合意は労働協約として成立し,規範的効力を具備していると解するのが相当であるとして,被上告人らの主位的請求の一部を認容した。
kuma
事実確認はここまで。
4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。
その理由は,次のとおりである。
労働協約は,利害が複雑に絡み合い対立する労使関係の中で,関連性を持つ様々な交渉事項につき団体交渉が展開され,最終的に妥結した事項につき締結されるものであり,それに包含される労働条件その他の労働者の待遇に関する基準は労使関係に一定期間安定をもたらす機能を果たすものである。
労働組合法は,労働協約にこのような機能があることにかんがみ,16条において労働協約に定める上記の基準が労働契約の内容を規律する効力を有することを規定しているほか,17条において一般的拘束力を規定しているのであり,また,労働基準法92条は,就業規則が当該事業場について適用される労働協約に反してはならないこと等を規定しているのである。
労働組合法14条が,労働協約は,書面に作成し,両当事者が署名し,又は記名押印することによってその効力を生ずることとしているゆえんは,労働協約に上記のような法的効力を付与することとしている以上,その存在及び内容は
明確なものでなければならないからである。
換言すれば,労働協約は複雑な交渉過程を経て団体交渉が最終的に妥結した事項につき締結されるものであることから,口頭による合意又は必要な様式を備えない書面による合意のままでは後日合意の有無及びその内容につき紛争が生じやすいので,その履行をめぐる不必要な紛争を防止するために,団体交渉が最終的に妥結し労働協約として結実したものであることをその存在形式自体において明示する必要がある。
そこで,同条は,書面に作成することを要することとするほか,その様式をも定め,これらを備えることによって労働協約が成立し,かつ,その効力が生ずることとしたのである。
したがって,【要旨】書面に作成され,かつ,両当事者がこれに署名し又は記名押印しない限り,仮に,労働組合と使用者との間に労働条件その他に関する合意が成立したとしても,これに労働協約としての規範的効力を付与することはできないと解すべきである。
ところで,前記認定事実によれば,上告人と支部とは,平成3年度以降各年度のベースアップ交渉において,具体的な引上げ額については妥結して本件各合意をするに至ったが,いずれの合意についても,協定書を作成しなかったというのであるから,本件各合意が同条が定める労働協約の効力の発生要件を満たしていないことは明らかであり,上告人が協定書が作成されていないことを理由にベースアップ分の支給を拒むことが信義に反するとしても,労働協約が成立し規範的効力を具備しているということができないことは論をまたない。
のみならず,前記認定事実によれば,本件各合意は,同条所定の様式を備えた書面に作成された上でベ-スアップの内容が実施されることを当然の前提としてされたものであるというほかはないから,上告人と支部との間に他に交渉事項がありこれが解決しないため同条所定の様式を備えた書面が作成されないという場合であっても,ベ-スアップだけは上告人が実施すべき義務を負う趣旨のものであると解することもできない。
平成3年度以降各年度のベースアップ交渉の中身を見ると,上告人は,具体的な引上げ額のほか,支部の組合員にベースアップ分を支給するために作成すべき協定書に新賃金体系による初任給の額を基準額として前記のように記載することも交渉事項としたが,支部は,引上げ額については同意したものの,上記交渉事項に応じれば事実上新賃金体系を自ら承認する意味を持つがゆえに,これを拒絶したものであり,その結果,協定書が作成されなかったというのである。
そうであるとすれば,協定書の記載の仕方に関する交渉事項であるとはいえ,支部がこの交渉事項を受け入れるか否かは労使双方にとって重要な意義があったのであり,この交渉事項が受け入れられず,協定書が作成されなかったのであるから,団体交渉による支部の組合員に対するベースアップの実施はとんざしたものというほかはない。
だからといって,上記交渉事項と切り離して上告人が支部の組合員に対してベースアップ分を支給することが本件各合意の時点等にさかのぼって既に合意されていたものと解することは到底できない。
昭和58年度に協定書が作成されずにベースアップ分が支給されたこと,平成3年度の夏期賞与額に関して作成された協定書は新賃金体系による賃金を基準としていたこと,上告人がF会の組合員及び非組合員に対しては各ベースアップ分を各年度の4月にさかのぼって支給したことは,上記判断を左右するものとはいえない。
以上によれば,原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。
論旨は理由があり,原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れない。
そして,被上告人らの主位的請求は理由がないから,同請求については,第1審判決中上告人敗訴部分を取り消して同部分につき被上告人らの請求を棄却し,前記破棄部分に係る被上告人らの附帯控訴を棄却し,被上告人らが附帯控訴に基づき原審において拡張した請求を棄却すべきであるが,予備的請求については更に審理を尽くさせる
必要があるから,本件を原審に差し戻すこととする。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
キーワード
労働組合。労働条件。労働協約。記名押印。規範的効力。
kuma





